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不屈の起業家が語る波乱に富んだ人生、
そして“本当”に楽しく満足して生きる方法とは?
折口雅博さんインタビュー

バブル時代に商社マンとしてプロデュースしたディスコ「ジュリアナ東京」を皮切りに「ヴェルファーレ」、さらに人材サービス「グッドウィル」や介護サービス「コムスン」などを手がけてきた起業家・折口雅博さん。

その波乱万丈の人生と現在、さらにルージュ世代がこれから実りある時間を過ごすための秘訣についても伺いました。

bjb代表・森光太郎がインタビューしてきました。

※文中敬称略

折口雅博さん

1961年東京生まれ。防衛大学校理工学専攻卒業。日商岩井入社。同社で「ジュリアナ東京」を企画、プロデュース。95年、グッドウィル設立。続いてコムスンの事業を展開。99年、グッドウィル・グループ株式会社店頭公開。2004年、東証一部上場、日本経団連理事就任。05年に紺綬褒章受賞。06年に厚生労働大臣賞受賞。07年には年商7700億円、拠点数2500、従業員は10万人を超える。08年、同社を退社し渡米。ニューヨークの最高級レストラン「MEGU」を国際展開、現在、ニューヨークと東京に拠点を持つブロードキャピタル・パートナーズのCEO。起業家インキュベーターとして、日本の起業家に対してコーチング、及び日米の企業に投資アドバイザリーを行っている。『アイアンハート』(2020年/昭文社)ほか、著書多数。


【森】 折口さんは数々の事業をたち上げて軌道に乗せ、そして同じくらい挫折も経験されてきました。まずは1991年にディスコ「ジュリアナ東京」が成功。その後に六本木で「ヴェルファーレ」も成功させましたが、いずれも利権争いに巻き込まれて経営から外されてしまうことに。どのようなお気持ちでしたか?

【折口】 かなり理不尽な目に遭ってきたと思います(苦笑)。でも事前に予期はしていましたよ。「ジュリアナ東京」も「ヴェルファーレ」も、事の流れ次第では自分が追い出されてしまうことは分かりながらやっていました。でもやらないと何も起きないので、やるんです。

分かりながらもベストを尽くすのが大切。私は最高の手を打ちましたが、自分がオーナーではないので、結果として理不尽な目にあいました。

【森】 予期していたとはいえ、個人として巨額の借金を抱えられて大変でしたよね。

【折口】 「ヴェルファーレ」の報酬が入るまで利息が膨らみ、4,000万円の借金が2年ぐらいで7,000万円にもなっていました。会社を飛び出したばかりでニートのような状況でしたから、かなりきつかったです。でも「お金を返さない不義理は絶対にしない」と、あらゆる手段を尽くして、何とか乗り切りましたね。自己破産したら、もう次の事業はできませんから。

結局「ヴェルファーレ」も自分がお金を出していなかったので、オープン直前に社長から降格させられてしまいました。悔しかったですが、考えてみると相手にも事情があります。

オーナーは「ジュリアナ東京」のアルバムがミリオンセラーとなり、その後にTRFやglobeといったダンスミュージック路線を進めていくエイベックス。彼らにとってもこのディスコ事業は生命線で、思惑通りにやっていくには、私より他の社長が求められていたのでしょう。

その後の発展を見ると、彼らの戦略は合っていたと言えますね。当時の私は正しかったと思いますが、力なき正義は無力なんですよ(笑)

【森】 力なき正義は無力…名言です。その後は全く別分野の人材サービス「グッドウィル」を起業、介護サービス「コムスン」と合わせて、12年間で年商7,700億円という大成功を収められます。どうしてこの事業をやろうと思ったんですか?

【折口】 実は「ヴェルファーレ」で窮地に立たされていた時に、「グッドウィル」の企画を持ってきた人がいたんです。常に“大きなことがしたい”という夢を掲げてきた私には、その社会的ニーズの大きさと貢献度の高さ、未成長分野ゆえ自分が牽引でき、すごく大きなビジネスになる可能性があるなと確信しました。まさに「キター!」って感じでした。

自分の夢がもし“カッコイイことをしたい”だったら、この軽作業請負という事業には携わってなかったでしょう。

大切なのはチャンスを逃さないことですね。

実はこうしたチャンスは、誰にでも来ているんです。しばしば「折口さんは運がいい」「時代に恵まれていた」と言われますが、チャンスは平等に来ていて、後はそれを掴むかどうか。そのちょっとした判断が、後々に大きな差となるのです。

現在起業家のコーチングをしていますが、特にそうした判断のコンサルティングに力を入れています。ただそれは強い助言であって、最後は経営者自身が主体となって決断しなければなりません。

【森】 しかし、ここまで築き上げた事業も手放さなければならないことに。当時私にはまるで国策で解体されたかのように映ったのですが、当時の心情はどんなものでしたか?

【折口】 大手ゆえのバッシングを受けて株価が落ち、ファンドに債権を買われてしまい、居場所がなくなってしまいました。「コムスン」を売却することになった際、「良い会社だから買いたい」という声が多くて収拾がつかなくなり、47都道府県に分割して売却させられました。それだけ価値のある会社でした。自分の手から離れたことより、なくなったことが残念でしたね。

国策や社会の流れの中でこうしたことも起きるんだなと実感しました。

自分が正しく、社会的に良いことをやっていても、世の中いろいろあってどうしても抗えないことがあります。

その時大切なのは、事実を真摯に受け止めて、次に再び上がっていくにはどうするかを、考えることなんですよ。

【森】 そのネクストステージを、日本を出てアメリカに求めたのですね。

【折口】 昔からアメリカってすごい国だと思ってきました。留学したこともないのですが、私の考え方はアメリカ的で、経営方法もアメリカ流だと思ってきました。でも実際にアメリカに行ってみると、とんでもない。私をもっともっと尖らせたような考え方をする国でした。

日本で会社を経営していれば、出張や旅行で訪れることはあっても、住むことはできない。厳しい目に遭ったことで、46歳からの第二の人生を憧れの地でスタートすることができ、図らずも幼い頃から「住みたい」と憧れていた夢が叶いました。

以前のように売り上げの大きさや従業員、拠点の数など規模の大きさを追うというのは興味もなくなっていました。この地で新しい価値観を学んで、いかにエキサイティングに生きていけるか。特にニューヨークは世界中から優秀な人が集まってきます。そこで戦うことが、私の次の“大きなこと”になったんです。

【森】 まさにメジャーリーグへの挑戦! 現地での生活についてお聞かせください。

【折口】 プライベートでは、私の事情で子どもたちを巻き込んでしまいました。特に次男は小学4年生の半ばでの渡米となり、英語が全然わからなくてかわいそうでした。日本にいれば順調に進んでいたかもしれないのに、アメリカでは厳しいかもしれない。

アメリカの受験システムは日本と全く違い、学業以外にリーダーシップ、スポーツ、芸術、ボランティアなども重視されるんです。これらへのチャレンジを息子と二人三脚でやりながら、アシストしようという使命感に面白さを感じながら子育てしていました。

【森】 アメリカのすごさって何でしょう?そのアメリカでどのような仕事をされたのですか。

【折口】アメリカ人の一番の強みは、“不確かなものに答えを見出して、クリアしていく能力がとても高い”ということです。

例えば、大学受験は社会の中のポジション取りの縮図。先にも触れましたが、トップスクールに行くには勉強だけでなく、トータル的な人間力が必要です。しかし具体的にどうしたらハーバード大学に受かるんだと言われても、正解はありません。それは、その人の資質やタイミングなどによって異なるからです。そんな状況を乗り越えていくので、新たな課題に対しての解決力が高くなるんですよ。

アメリカは、明確な目標を設定して戦略を練り、きちんと実行に移せる国。

そんなアメリカでの私の仕事は、ニューヨークで営むことになった超高級和食レストラン「MEGU」をロシアやカタール、インドやスイスなどでフランチャイズ展開すること。

財務や組織の力を持たない私でしたが、1対1の人間として現地の王族などと渡り合い、投資させることに成功しました。

最後は自主的にイグジット(売却して利益を確定)しています。

現在は起業家インキュベーターとして、後進の育成に取り組んでいます。私の経験を活かすのはもちろん、政治、経済、軍事などの面で世界を牽引している国に住んで、その強さも分かっているので、無敵なコーチだと自負しています。これが私の今の“大きなこと”です。

再び日本が世界経済で強いポジションを取るよう日本の起業家を強くするのが、自分のミッションだと思っています。

【森】 これまで様々な経験をされてきましたが、折口さんが人生で一番大切にされてきたことは何ですか?

【折口】 「生まれてきて良かった」「生きていて良かった」と思うことですね。でもそれは決して金銭的な面での成功ではありません。

プライベートジェット、巨大な別荘、十数台の高級車…稼いでいた時期はすべて持っていました。でもそれで、自分はすごい!人生の勝者だと思ったことは一度もありません。有頂天になったことは一度もないと言い切れますよ。

【森】 なるほど…。お金の存在をどうとらえるのかは大切ですね。

【折口】 そもそもお金は自由を得るためのもので、お金持ちになってもお金に縛られてはいけない。例えば運転手付きの車で移動していると、街を覚えないんです。

車を降りて歩いて電車に乗れば、街の雰囲気も分かるし、新しいスポットや流行なども分かる。でも雨が降ったら不便ですからタクシーに乗ります。

そのぐらいのお金は稼ぎたい、そんな感覚です。

飛行機も韓国とか近場だったらエコノミークラスで十分。でもニューヨークへ行くなら、ビジネスクラスに乗りたいです、体も休まるしリラックスできるから。

成功者ならファーストクラスと思われがちですが、私には不自由。行動をずっと見られている感じがして、むしろ窮屈に感じてしまうこともあるからなんです。

自分の使いたい時に使える程度のお金は持ちたいですが、その額はその人の価値観によって異なるんですよ。

【森】 ご自身の生活スタイルや考え方などで、若い頃から一貫して続けていることがあれば教えてください。昔は腹筋や腕立てなども毎日やっていたとお聞きしています。

【折口】 それは今も続けています。今朝もやってきましたよ。毎朝スクワット50回、懸垂50回やっています。懸垂は連続でできるから、アスリートににも負けない自信があります(笑)。

生き方として守ってきたのことは「誰に対しても尊敬の念を持つ」こと。

生きているといろんな階層、経歴、境遇の人と出会いますが、私は決して偏見を持たず、全て尊敬の念を持って接してきました。もちろん怠け者には厳しく接します。でも一生懸命やっていて成果が上がらない人には、目線を合わせ、「なぜなのか?」とまず考えますね。

グッドウィル・グループ時代も社員を降格させたり、クビにしたりしたことはありません。

経営者にとって大切なのは、その人の強さを見出し、興味を持って働ける仕事を創ることだからです。例えばマーケティングに秀でていても、営業ができるとは限りません。命じられれば無理をしてがんばって、つぶれちゃうこともあります。

人が得意な範囲は意外と狭いと考えたほうがいいです。狭い所を磨いていける職場が見つかれば、人は活躍できるんですよ。

【森】 では最後の質問です。今は人生100年時代と言われています。バブル期を経験したルージュ世代が、これから充実した人生を送るためのヒントやアドバイス、メッセージをお願いします。

【折口】 本当に自分が楽しく、そして満足できる人生を送っていただきたいと思います。月並みなワードを使いましたが、実は重い言葉なんですよ、“本当に”ですから。

そのために「考える」「行動する」という時間の使い方をしてください。そうすると人生の価値が最大になるでしょう。

お金についても、「あればあるほどいい」と考えて稼ぐことや貯め込むことに走りがち。そうではなくて、いかに楽しく、面白く使うことが大切なんですね。

私は牛丼が好きで、吉野家や松屋でよく食べています。

外食する際に何を優先しているかというと、私の場合は時間なんです。さっと食べてすぐに仕事に移動できる手軽さがいいんですよ。

ルージュ世代なら、昔よりも時間が自由でしょうから、好きな時に牛丼や立ち食いそばを食べ、時にはピクニックも楽しみ、たまには高級フレンチを味わうこともできますね。記念日などはお金を使って贅沢するのもいいでしょう。

でも「知人が有名レストランでお祝いしたから自分も」という考えはすすめられません。

自分の価値観で判断するのが大切。自分が気持ちよくなるゾーンがあるはずなんですよ。

このぐらいのお金を使っている時が、楽しく過ごせているというような。

【森】 他人と比べないことが大事なんですね。

【折口】 そうです。アメリカは日本と違って、比べない文化です。アジア人は比較したがる面はありますよね。自分の励ましにする程度ならいいんですけど、人と比べる意識は減らしていきましょう。そして、自分がやりたいことをやる。私は現在140社以上のコーチングをしていて休む暇もありませんが、こうして仕事をしているのが何より楽しいのです。みなさまもぜひ自分のやりたいことを見つけて、“本当に”楽しく満足して生きてください!

【森】 本日はありがとうございました。いろいろ勉強になりました。私も読了したご著書『アイアンハート』(昭文社)は、学べて元気が出る一冊。この対談を読んでいただいた方に、ぜひお薦めしたいです。

撮影/目黒-MEGURO.8

取材・文/とがみ淳志

1964年生まれ大阪府出身。(一社)日本ソムリエ協会認定ワインエキスパート/SAKE DIPLOMA。温泉ソムリエマスター。日本旅のペンクラブ会員。日本旅行記者クラブ会員。国内外を旅して回る自称「酒仙ライター」。20世紀中はハワイにはまり、30回以上通う。現在は愛猫とじゃれ合いながら、お気に入りのワインや日本酒を家飲みするのが好き。

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