ハングルの手描き文字アートを広めながら、日韓交流にも力を注いでいます

アレンジしたハングルの手描き文字を使ってカードやボードなどを作る“ハングルPOPアート”。
ベースとなっているのは韓国で「예쁜 손글씨イエップン ソンクルシ」(美しい手描き文字)という名称で、習い事の一つとして確立している書芸です。
10年ほど前からハングルPOPアート教室を続けながら、日韓交流にも熱心に取り組むbjb世代の福本美奈子さんにハングルとの出会い、現在の活動、日韓交流にかける想いなどを伺いました。
福本美奈子さん(62歳)
ハングルPOPアート「チルセク」主宰。2010年から2年間、全羅南道・順天市の高校で日本語補助教師として勤務。帰国後、ハングルPOPアート教室をスタートし、現在、福岡市を中心に活動中

様々なスタイルの文字があるのがおもしろい“ハングルPOPアート”
ハングルって最初は記号にしか見えないという人が多いですよね。そんなハングルに魅せられ、筆、サインペンなどいろんなものを使ってデザイン性豊かに表現したいと始めたのが“ハングルPOPアート”。実はこの名前は私が付けたもので、他にはないオリジナルなアートです。日本の習字とも違うし、店先に並ぶポップともちょっと違い、基本的には前向きになれる言葉に絵などを添えて、一つのアート作品として仕上げたものです。


教室では、丸筆、平筆、サインペンなどを使って、私がアレンジしたオリジナルの9種類の書体の描き方を教えています。文字によってバランスや力の入れ方など規則があるんです。
実は、ハングルが分からない人、苦手な人でも描けるんです!
なので、このカードを受け取った韓国の人には大変驚かれます。「日本人のあなたがこれを描いたの?」って。また、ハングルを知らない日本人に日本語の訳を添えて送っても喜ばれています。


ハングルPOPアートの良いところは、例えば「愛しています」といった言葉を日本語で書くとちょっと直接的というか、気恥ずかしいということがありますが、ハングルだと、ワンクッション置くので、素直に届くということもあります。ですから、日頃伝えたい言葉を伝えるコミュニケーション手段としても利用してもらいたいと思っています。

また、韓国語には、日本語にはあまりない、特有の言い回しがたくさんあります。
例えば「꽃길만 걸어요」(コッキリマン コロヨ)は直訳すると「花道だけを歩きましょう」ですが、そこには「いいことだけが起こりますように」という深い意味が込められています。
このような素敵な言葉がたくさんありますので、文化の違いなども楽しみながら描いてもらえると嬉しいです。受け取った相手の顔を想像しながら描き上げる、そんな楽しみがあるアートだと思います。
42歳で出会ったハングルに一目惚れ!
家庭の事情で高校を中退した私は39歳の時に改めて高校へ行き、学ぶことの面白さを体感し、さらに大学へ進学。そこで初めてハングルに出会いました。
すぐにハングルに魅せられ、44歳の大学2年の夏休みに釜山の北にある蔚山(ウルサン)大学に1カ月間留学しました。その時にいつか韓国に住む!と決心。
2年生で韓国語の課程は修了したんですが、先生に頼み込んで3、4年生の間も授業を受けさせてもらい、夜もハングル学習の部活を続けました。
私の熱意にほだされ、夫も卒業後の留学を後押ししてくれたので、46歳で釜山大学の語学堂に9カ月留学。朝から夜まで勉強漬けでしたが、面白くてたまりませんでした。戻ってからは逆ホームシックになり、韓国に“帰り”たくて仕方なかったくらいです。
留学から帰国後は、福岡にある日韓交流コンサルタント会社で働きながら、九州国立博物館で案内ボランティアなどをして、日々、韓国語を使っていました。
そんな活動の中で、韓国教育院の推薦を受け、49歳の時に釜山から車で2時間ほどの順天(スンチョン)市の高校で日本語補助教師の仕事に就くことができました。

順天で巡り合った生涯の宝物“ハングルPOPアート”
教師生活に少し慣れた頃、もともと文字を描くことが好きだったこともあり、学校と自宅の間にある女性会館で開催されていた「예쁜 손글씨イエップンソンクルシ講座」に週2回通うことに。これがとっても楽しかったんです!
結局、2年近く、書芸の最高指導者、イ・ジョンレ先生に師事し、最後は特訓を受けて、日本で講師をする許可を得ることができました。

帰国後は、以前働いていた日韓交流コンサルタント会社で仕事をする傍ら、週に1回、ハングルPOPアートを教えるようになり、さらに韓国からの観光客に着物の着付けをする経験も積むことができました。
韓国語の出来る着物着付け講師として、韓国の方々に喜ばれましたし、観光で来られた方々にいろいろな情報の提供もしました。まさに交流の大切さを肌で実感した経験でした。
不安を抱えながらも「ななこのおうち」をスタート
帰国して6年ほど経った時、コンサルタント会社の事業方針が変わり、その場所が利用できなくなりました。ハングルPOPアート教室が続けられ、韓国人に着付けができる場所を探さなければなりません。
とても悩み考えましたが、老後の資金を使って便利な場所に一室を借りることを決断!2018年12月に福岡市博多区祇園に日韓交流を目的としたスペース「ななこのおうち」を開業しました。準備期間を経て、翌年2月にハングルPOPアートだけでなく、韓国人向けの着物体験、交流会、セミナーなどを楽しめるスペースをオープン。59歳の時でした。

とはいえ、福岡の観光スポット、キャナルシティ博多の近くということで、それなりの家賃も払わなくてはなりません。楽しみというより、不安の方が大きいままスタートしましたが、3日後に韓国から着物体験を希望する人々が来て以来、口コミで次々と予約が入り、韓国語が話せる着付け師のいる場所、として大変喜ばれました。
「やっていける!」私の目がキラキラ輝き始めました。
また、韓国の人々を招いての会食や講座、日本人との交流会なども開催。


着物体験後「こたつ」初体験の韓国人観光客ご一家
しばらく順調に進んでいましたが、ご存じのようにノージャパン運動(日本製品不買運動)が始まり、その後のコロナ禍で、韓国人のお客様はゼロに!ハングルPOPアート教室に来る人も激減しました。
新たな一歩、そしてこれからの夢!
この2~3年、いろいろなことがありすぎて、凹むことも多々ありましたが、「待っているばかりではどうしようもない!」と、自分の作品を販売することにも力を入れるようにしました。

福岡県内外のマルシェやワークショップなどに道具を持って行き、展示・販売のほかに体験もしてもらっています。初めてハングルPOPアートに出会う人々は、文字や絵が手描きであることに驚かれます。韓国語を学習している人は言葉の意味に関心を持ってくれるので丁寧に説明しています。

もう一つ、ここ数年続けているのが、厳しい生活環境にいる韓国の子どもたちにクリスマスカードを送ることです。
賛同いただいた方々と描いて送り、喜んでもらっています。いつか、そんな子どもたちとの交流もできたらいいなと思っています。
60歳を超えた今、私がかなえたいと思っているのは、ハングルPOPアートの本を出すこと。私の作品集であるだけでなく、多くの人が本を見ながら描けるような内容にしたいと考えています。周囲のみなさんから届くたくさんの応援を力に変えて、夢を実現させたいです。


興味のある方はホームページやインスタグラムをチェックしてください。
取材・文/ノン鳥越
1954年福岡生まれ。2002年の初渡韓後、韓国のいろんなものにはまる。コロナ禍前は、2カ月に1回のペースで渡韓。これまで見た韓国ドラマは600本以上、映画は500本以上。