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バブル期に、トレンディドラマに欠かせない顔として大活躍された俳優の布施博さん。
芸能界に入るきっかけとなった意外なエピソード、バブル期ならではの華やかなお話、そして現在これからのことなどを語っていただきました。

布施博さんインタビュー

1958年東京都生まれ。1984年、倉本聰脚本『昨日、悲別で』の演技で注目を浴びる。以降、トレンディドラマに欠かせない俳優として活躍。1994年に自身の劇団「東京ロックンパラダイス」をプロデュース。現在、俳優活動をしながら後進の人材育成も行っている。

やんちゃな僕を拾ってくれた師匠・倉本聰先生

僕が生まれ育った町は今と違って本当にひどい環境でした。低所得者の家庭が多く、我が家もご多分にもれず貧しかった。家族4人で6畳一間暮らしでした。 小学校で軟式野球を始めて、中学校でのポジションはピッチャー。経済的な理由から都立高校への進学を考えていたら、兄貴が「博には野球しかない。俺が働いて何とかする」と言ってくれて、野球の名門校・二松學舍大学附属高等学校に特待生で進学。一生懸命野球をやっていたんですが、3年生が引退後の2年生の態度が頭に来て、喧嘩して退学!
やることもなくぶらぶらして、17~21歳の間はかなりやんちゃしてました。

21歳の時、先輩が出演する劇団「ミスタースリムカンパニー」の舞台を観に行きました。
出演者が全員リーゼントで、歌って踊って…と体で表現をする舞台で「かっこいいなぁ」と憧れ、毎日通うほどハマりました。終演後の打ち上げに一緒に参加させてもらえたのも嬉しくって。
ある日、監督から「お前も舞台に立て」と言われてびっくり。演技の“え”の字も知らなかったので「え、待って下さい。今まで歌ったことも踊ったこともないです」と正直に伝えました。しかし、背中を押される形で初舞台を踏むことに。これが僕の俳優デビューです。

求められているものが、演劇というより肉体で何かを表現することでした。まさに血を吐くように「跳べ、叫べ、走れ」の舞台。毎回数キロ痩せては、朝まで飲んで体重を戻して…の繰り返し(笑)。本当に楽しくて「これが一生続いてもいい」と思っていました。
でもチケット代を使い込んじゃって。徐々に借金も膨らみ始めた矢先に、倉本聰先生脚本のドラマ『昨日、悲別で』のオーディションを劇団員数人で受けることに。 受かるなんて思ってないから朝まで飲んで、そのまま会場入り。演技を組んだ俳優からカチンとくることを言われ、トイレに連れていって喧嘩に。
「どいつの仕業だ」と問題になり、僕だと判明したのにまさかの合格。
後に倉本先生に合格の理由を聞いたら「オーディションで喧嘩沙汰を起こすなんて規格外だったから」とのこと。きっと僕みたいな人間が珍しかったのでしょうね。もし先生の中で「あれ?」って、何か心に触れる部分が一つでもあったのならば嬉しいですが。

ドラマ放送翌日から、みんなが自分の顔を知るようになり、世界が一変しました。
徐々にドラマのお仕事をいただけるようになり、体力には自信があったので、静岡の現場から志賀高原行って、次は東京へ…と、ほとんど寝ずに一生懸命働きましたね。
でも実は、「お芝居で食べていく」と思えたのは30代後半でした。自分は叩き上げで、もともと役者志向ではなかったから。
それでも長く芝居をしていると、自分のやりたい芝居の世界観ができ上がってきます。それを実現したくて36歳で劇団を作りました。

稼いだ分すべて使っていた華やかなバブル期

当時、バブルという概念は一切なかったです。それより「芸能界ってこんなにすごいの?」という感じ。
一番驚いたのは、海外メーカーのCM。契約金だけでなんと1億円!しかもロサンゼルスでの撮影で言ったセリフは一言「オーマイガー」だけ。
その後も、次々といただくドラマやCMの仕事で年収2億円以上の時期もありました。
3億円以上の豪邸を建てても約2年で借金を返済。
また、私立に通う子どもたちの学校が遠い、となれば、家を売って学校近くの洒落たマンションにお引越し。車やバイクも大好きで、キャディラックなど車は7台を所有し、バイクもハーレーを3台乗り回していました。3人の子どもが小さい頃から、毎年の家族旅行はハワイが定番。
そんな華やかな日々を送っていました。 バブルの崩壊を感じたのは、ドラマの製作費が減ってきたころ、かな。でも、もともとバブルという意識もなかったので、変わらず40歳くらいまで毎日一生懸命働きましたよ。
そもそも貧乏人だからかお金の使い方も分からず、稼いだだけ使ってました(笑)。

モノには執着なし、こだわるのは健康と芝居

40歳前半まで好き勝手やっていた自分も、今は金やモノに執着がなくなりました。
大好きだった車やバイクも「小回りのきくのが一番」となり、今は原チャリに乗って近所のコンビニまで行っています。
64歳の今、まず大切にしたいと思うのは健康。コロナ禍で家にずっといたせいで筋肉が落ちてしまい、大好きなゴルフを楽しむためにも筋肉を戻そうと、ジムでのトレーニングメニューを一通りこなす日々です。
お酒の量も減りましたね。お風呂入って、お酒も飲まずスイカを食べて就寝、朝は5時に起床…と、昔とは打って変わって健康的な毎日です。

今でも時々テレビの仕事のお話はいただきますが、「面白い」と思える作品になかなか出会えず、お断りしています。自分が面白いと思えないものを演じても、人の心は動かせないでしょう。
自分の目指す方向性の芝居をしたいのなら、やはり舞台しかないのかな、と思っています。
地味でもいいから芝居で人の心を動かしたい。その思いを胸に、現在は後進の育成にも力をいれています。

僕の思う、人生100年時代の過ごし方

「何かをやってみたい」と思うのはいいことですよね。
ただ僕は、あれこれ考えても人生なるようにしかならない、と思うタイプ。
だから躍起になってやりたいことを探さなくても、70代、80代、90代とその年代ごとの楽しみが自然に見つかる気がします。
だって、若い頃はゴルフに全然興味がなかったのに、この歳でこんなにハマるとは思ってもみなかったから。

昨日、今の奥さんに「同じことの繰り返しでも毎日幸せだね」と話したほど、最近は日常の小さな幸せを感じられるようになりました。
“人生100年時代”と聞くと、僕はかえって不安になります。なるようになるさ、と思うのも一つじゃないですか。さんざん好き勝手してきたからそう思えるのかな(笑)。

取材・文/Umi
撮影/

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