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バブル期の話なら、
何時間でも語れます!
<前編>

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語ってくれたのは…
松波利佳さん

1965年東京都生まれ。フリーアナウンサー(ラジオパーソナリティー)、イベント司会、コメンテーター、テレビショッピングキャスター、イベントプロデュース、キャスティングの他、2000年に設立した幼児託児所の経験を生かして講演、執筆など、多岐にわたって活躍中。20歳の学生だった松波さんは、1985年に鈴鹿サーキットのレースクイーンに。そんな松波さんに、キラキラ輝いていたバブル時代のことを語っていただきました!

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ギャラは3日で25万円なんてことも!

「F1」はバブル期の象徴の一つでもありますよね。私は85年から鈴鹿サーキットのレースクイーンを始めましたが、とても華やかな世界でした!


レーシングチームのスポンサーといえば、CABIN、LEYTON HOUSEなどの名前が思い出されますが、当時のレース界では、星野一義さん、中嶋悟さん、鈴木亜久里さんなど、名だたるレーサーが大活躍していました。

私達レースクイーンは、ただそこにいるだけでOK、という感じ。選手に傘をさして、写真撮影に応じることが主な仕事。それでギャラは3日間で25万円なんてことも!


しかも当日払いだったので、そのまま遊びに行ったりお買い物したりで、あっという間になくなっていました(笑)。


ギャラは当時「8並び」が多かったですね。手取りで8万円もらえるよう88,888円で出してくれていました。“末広がりの八で縁起がいい”の意味もあったようです。


『ミスコン荒らし』で荒稼ぎ!

レースクイーンをやっていた女の子達は、ほぼみんな、いろんな「ミスコン」に出て荒稼ぎしていました(笑)。当時、ミスコンで優勝すると、賞金100万円、ハワイ、グアムなどの海外旅行、準ミスでも賞金20万円、家電や食品など豪華商品がもらえました。今でも活躍している女優やタレントが、当時たくさんミスコン仲間にいましたよ。

私はミスアイスクリームなど、60くらいのミスコンに出ましたが、海外旅行はほぼミスコンの景品でしか行ってないし、家の中も景品で溢れていました。


「オールナイトTOKAI」のメンバーとして活躍

当時、東京でしか見られなかった「オールナイトフジ」。名古屋では、東海テレビで「オールナイトTOKAI」として放送されていました。東京の女子大生メンバー“オールナイターズ”は、名古屋では“いいタマ!GALS”と呼ばれていました。私も学生時代、そのメンバーでした。司会は平野文さんで、ものすごい人気番組でした!その後流行ったおニャン子クラブ、モーニング娘、AKB48、などのはしりですよね。


世の中は空前のゴルフブーム!

短大卒業後、東京に戻り、就職はせずTV番組のアシスタントやレポーター、ラジオのパーソナリティなどを始めました。ミスコン荒らしをしていた女の子達は、同じように芸能界やマスコミに進む子が多かったですね。

当時、マスコミ業界では、ゴルフコンペがすごかった! 毎週開催されていました。

都内のゴルフ練習場は数時間待ちなんて当たり前、ゴルフ場の会員権もバカ高いにも関わらず人気すぎて買えない、という、世の中はすごいゴルフブーム。

ゴルフコンペの商品は、家電、レーザーディスクなど、とても豪華でした!東京で1人暮らしを始めたばかりだったんですが、家電は全てゴルフコンペの商品で揃えられたくらいです。


マスコミ業界もゴージャス!

海外ロケも多かったですね。「天国に一番近い島」として人気だった、ニューカレドニア極上の旅にも行かせてもらいました。ホテルはスイートルーム、全てがゴージャスでした。

仕事の移動はハイヤーやタクシー。タクシーチケットを1冊丸々もらっていたので仕事の時はバンバン使ってました。

マスコミ業界の忘年会もすごかったなあ!100人くらいが参加して、1人1,000円出し(プロデューサーなどは1万円出すことも!)でじゃんけん大会。勝てば、若いADさんでも10万円以上が一瞬でもらえるんですよ!ビンゴ大会の景品は、旅行や現金の時もありました。

まだまだバブル期について語っていただいてます。

後編へ

取材・文/bjb編集部

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