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バブル期の話なら、
何時間でも語れます!
<後編>

語ってくれたのは…
松波利佳さん

1965年東京都生まれ。フリーアナウンサー(ラジオパーソナリティー)、イベント司会、コメンテーター、テレビショッピングキャスター、イベントプロデュース、キャスティングの他、2000年に設立した幼児託児所の経験を生かして講演、執筆など、多岐にわたって活躍中。20歳の学生だった松波さんは、1985年に鈴鹿サーキットのレースクイーンに。そんな松波さんに、キラキラ輝いていたバブル時代のことを語っていただきました!

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毎日のように通っていたディスコ

名古屋ではマハラジャ、東京では六本木のジュリアナに通っていました。もちろんお立ち台へも上がってましたよ!順番待ちで1人降りたらすぐ1人上がる、常にぎゅうぎゅう詰めのお立ち台で、ちょっとずつ真ん中へにじり寄って行ってました(笑)。

男性は女性同伴じゃないと入れなかったので、レストランで男性と待ち合わせてご飯を食べてからディスコへ。入場料、中で飲むドリンク、帰りのタクシー代も男性持ちだったから、レストランまでの交通費以外、女性はお金を1円も使わなくてよかったんです。

ディスコの入口には、一緒に入ってくれる女性を探す男性がたくさんいました。若い女性がちやほやされ、優遇されていた時代でしたね。


BMWは“西麻布のカロ-ラ”!

西麻布の交差点には、当時流行っていたBMWの車がズラ~っと並んでいました。私達は、BMWを“西麻布のカロ-ラ”と呼んでました(笑)。それくらい普通に走ってたんですよ。

西麻布の駐車場代は、1カ月13万円くらいでした。1ルームマンションが借りられますよね。それでもなかなか空きが出ない状態でした。


当時流行っていた物は…

クリスマスや誕生日プレゼントの定番といえば「ティファニーのオープンハート」。クリスマス前にはすごい行列ができ、買えない人も多数。買えなかった人には売り切れを証明する紙を発行してくれ、彼女に「頑張ったけど買えなかった証拠」として見せてました。

タバコはメンソールのセーラム、お酒はジャック・ダニエル、コスメではレブロンの16番の口紅が人気でしたが、当時、日本では販売していなかったので、海外旅行時に箱買いしていました。

お財布やバッグはルイ・ヴィトン、洋服は、ミッソーニやアルマーニも流行っていましたが、女性にはプライベート・レーベルなど、DCブランドが人気でしたね。もちろん肩パットの入ったボディコンワンピです!

東京在住者にとって、初めて作るクレジットカードといえばマルイのカード。そのカードを持って、マルイのセール時には前日から並んで、みんなこぞって洋服を買っていました。


バブル期の男女事情

寝る間も惜しんで、合コンやねるとんパーティに行ってましたね~。彼氏はポケベルを持ってましたが、伝言には留守電を使っていました。外の公衆電話から家の留守電が聞けたんですよね。それでコミュニケーションを取っていました。

TVドラマ『金曜日の妻たちへ』も流行りましたよね!ドラマの影響を受けている友達もいました。


バブル期に流行った言葉

「アッシー君」「メッシー君」「ミツグ君」は定番ですね。

他によく業界で使っていたのが「ケツカッチン」。この後予定が詰まっている、という意味。みんな忙しかった!

「ナウイ」「マブイ」「おやじギャル」「なるはや」「タカビー」「しょうゆ顔」「ソース顔」「ワンレン」「ボディコン」「ソバージュヘア」、

言葉を逆に言う「ギロッポン」「ザギンでシースー」「ちゃんねえ」などもよく使っていました。

あと、よく話に出ていた単語が「青年実業家」「ヤンエグ」。合コン相手にも多かったんですが、今思えば何をしていた人達だったんでしょうかね(笑)。


「一度上げた生活は下げられない」

あの頃は、ずっとこのままバブルな状態が続くと思っていました。今、世の中の情勢は随分変わりましたが、私も含め当時からの友達は、口を揃えて「一度上げた生活は下げられない」と言います。やりたいこと、欲しいものは我慢しないで常にアグレッシブ。きっとこれからもこのバブル気質は変わらない(変われない)と思います。これからもずっと楽しく生きていきたいです!

前編はこちらから

取材・文/bjb編集部

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